終わってみればあっという間だった今年の1年でしたが、結構大きなことがあった1年でした。
3月にそれまで出向していた金沢の会社から自社へ戻ることになったので、これを機会に数年前から言われ続けていた健康診断の再検査を受けることに決めたのが2月の終わりごろ。それまでなかなか行けなかったのは、再検査を受けると入院しろと言われるのがほぼ確実だったからです。自社での作業ならまだしも、他の会社に売られて行ってる状態では入院してまとまった休みを取るというのはなかなか難しく、このタイミングを逃すとまた何年か行けない状態が続きそうだったため、行くことを決意したのでした。
3月の下旬から入院して、予定よりかなり長く3週間半もの間入院することになってしまいました。退院してきたのは4月も半ば。退院後も数末までの数日は年休を取って休んだので、出社したときはGWまであと1週間という事になっていました。
退院後は食事療法の効果もあって数値は良くなり、薬をやめて様子を見るという状態にまでなりましたが、今度は母親のほうが調子が悪くなってきました。
私が入院中の頃からちょっと調子が悪いとは言っていたのですが、本人は「絶対医者には行かない」と言い張っていたのでしばらく様子を見ていたのです。しかし6月の末頃になるととうとう自力では動けなくなるほどの状態になってしまったので救急車で病院へ連れて行き、そのまま入院。結局家に戻ることは無く9月の上旬に亡くなりました。
後から思えば数年前にめまいや吐き気がすると言っていた時期があって、その時に医者に行っていれば状況も違ったのかもしれません。それでも本人の一番の望みであった『周りに迷惑をかけたくない』という思いは概ね叶ったのではないかと思っていますし、長く患うことが無かったのはせめてもの救いかと思っています。
葬儀が終わって役所などの手続きが一通り終わった頃から家の整理を始めました。
遺品整理というほどのものは何もありませんでしたが、それでももう不要なものは大量にあります。ついでなので、母親のものに限らず、家にある不要なものを処分しようと整理を始めたのですが、これが一向に終わりが見えません。この小さな家のどこにこんなにたくさんのものが入っているのかと思うほど、次から次へと不要なものが出てきます。中には、今の家に引っ越してきた40数年前から一度も開けられていない段ボール箱もいくつも出てきました。すぐに使うものではないからということで箱に入れたまましまっておいたのでしょうが、両親ももう何が入っているかとか、何があるのかという事すら忘れてしまっていたと思われれるものが数多くありました。
家の整理をしていると、修理が必要な個所がいくつも見つかってきています。
家の修理となると、家電の修理などとはけた違いの費用がかかりますが、ただでさえ今年は収入より出費が多くなって蓄えも少なくなってきているので、必要だとは分かっていてもなかなか手を付けることが出来ずにいます。とりあえず優先度の高いものだけでも早めになんとかしないといけないのですが……
そんなこんなでいろいろあった1年でした。
家の整理はまだまだ来年も引き続きやって行かないといけないですし、家の修理もどうにかしないといけません。来年は頭の痛い1年になりそうです。
3月にそれまで出向していた金沢の会社から自社へ戻ることになったので、これを機会に数年前から言われ続けていた健康診断の再検査を受けることに決めたのが2月の終わりごろ。それまでなかなか行けなかったのは、再検査を受けると入院しろと言われるのがほぼ確実だったからです。自社での作業ならまだしも、他の会社に売られて行ってる状態では入院してまとまった休みを取るというのはなかなか難しく、このタイミングを逃すとまた何年か行けない状態が続きそうだったため、行くことを決意したのでした。
3月の下旬から入院して、予定よりかなり長く3週間半もの間入院することになってしまいました。退院してきたのは4月も半ば。退院後も数末までの数日は年休を取って休んだので、出社したときはGWまであと1週間という事になっていました。
退院後は食事療法の効果もあって数値は良くなり、薬をやめて様子を見るという状態にまでなりましたが、今度は母親のほうが調子が悪くなってきました。
私が入院中の頃からちょっと調子が悪いとは言っていたのですが、本人は「絶対医者には行かない」と言い張っていたのでしばらく様子を見ていたのです。しかし6月の末頃になるととうとう自力では動けなくなるほどの状態になってしまったので救急車で病院へ連れて行き、そのまま入院。結局家に戻ることは無く9月の上旬に亡くなりました。
後から思えば数年前にめまいや吐き気がすると言っていた時期があって、その時に医者に行っていれば状況も違ったのかもしれません。それでも本人の一番の望みであった『周りに迷惑をかけたくない』という思いは概ね叶ったのではないかと思っていますし、長く患うことが無かったのはせめてもの救いかと思っています。
葬儀が終わって役所などの手続きが一通り終わった頃から家の整理を始めました。
遺品整理というほどのものは何もありませんでしたが、それでももう不要なものは大量にあります。ついでなので、母親のものに限らず、家にある不要なものを処分しようと整理を始めたのですが、これが一向に終わりが見えません。この小さな家のどこにこんなにたくさんのものが入っているのかと思うほど、次から次へと不要なものが出てきます。中には、今の家に引っ越してきた40数年前から一度も開けられていない段ボール箱もいくつも出てきました。すぐに使うものではないからということで箱に入れたまましまっておいたのでしょうが、両親ももう何が入っているかとか、何があるのかという事すら忘れてしまっていたと思われれるものが数多くありました。
家の整理をしていると、修理が必要な個所がいくつも見つかってきています。
家の修理となると、家電の修理などとはけた違いの費用がかかりますが、ただでさえ今年は収入より出費が多くなって蓄えも少なくなってきているので、必要だとは分かっていてもなかなか手を付けることが出来ずにいます。とりあえず優先度の高いものだけでも早めになんとかしないといけないのですが……
そんなこんなでいろいろあった1年でした。
家の整理はまだまだ来年も引き続きやって行かないといけないですし、家の修理もどうにかしないといけません。来年は頭の痛い1年になりそうです。
なお、喪中につき年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます。
今年もこのしょうもないブログを見てくださった皆様にお礼を申し上げますとともに、来年もたまにでいいので見てもらえたら嬉しく思います。【おまけ】
ちょっと立ち寄ったいつもとは違うスーパーで久しぶりに「白えびビーバー」を売っていたので、思わず買ってしまいました。
初めて食べたのはもう4年も前の事です。その後はスーパーで普通に売っていたので、買おうと思えばいつでも買えたのですが、最近、NBAの八村塁選手がこの「白えびビーバー」を紹介して以来、なかなか手に入らなくなってしまいました。普通のビーバーですら売り切れになっていたこともありましたが、今では普通のビーバーなら簡単に入手できます。しかし白えびビーバーは品切れになっていてなかなか買えなかったのです。
味はもちろん美味しいのですが、この独特のサクサクとした食感がほかのあられなどとは違っていて、子供のころからビーバーはよく食べていました。
揚げ菓子なのでカロリーは高いです。
しかし食塩相当量は意外と少なく、一袋で0.5gなんですね。結構塩味が利いているように思いますが、ちょっと意外でした(初めて食べたときは食塩相当量なんてまったく気にしてなかったですからね)。
とはいえ食べ過ぎは禁物。正月休みの間に少しずつ食べようと思います。